「自責で考えるべきである」とはよく言われることなんだけど、なんかウルセーと反発したくなってしまう。
なーんて素直じゃない自分を素直に認める事が出来る皆様こんにちは。
自責で考えるべきであることはわかるんだけど
いざ自分が自責で考えるように言われると受け入れがたい反発を感じるのでなぜなのか
思考を思考してみました。
自責と他責の区別もなく、のびのびと考える自由さがほしいよね
失敗したとき自己責任の発揮を邪魔するものは何なのか?
・自分が悪かったってことを認めることへの反発
これはプライドかな
・失敗の発生源認定されると梯子を外され,問題の解決をすべてしょい込むことになる恐怖
周囲が仕事の範囲を線引きして協力しなさそうな人が多いとこんな考え持ちそう…
・他者に協力依頼できない。
自分を他人に迷惑かけちゃいけない存在と思っている事で
この考えに縛られることが出来そうだ。
この恐怖から解放されれば我々は失敗から発生する抑圧を回避でき
どんなことでも自責と他責の区別もなく、のびのびと考える自由さをGetできるんかな。
「俺、失敗した」とペナルティから自己の抑圧を0にするのは難しそうだ
失敗が0の人生は無いのでどのように失敗し自己の抑圧に繋げないようにするか考えた方がよさそうだ
全部受け入れる必要はないのかもしれない
他責だけで考え、自責で考えないのは人生の半分しか見えていないという事。
これはやっぱりもったいない。
でも、自ら失敗を一人でしょい込む必要はない。
美味しいとこ取りはしたいから「自責」を物事を見る1つの視点として使い、
利益のあるものが見えればこっそり反省し悔い改めたいね。