自分に負担を強いているのは実は自分だったら…
なぜ、私は私ばっかり頼るのか?
なぜ、自分だけが問題に対応していると感じるのか?
思考を思考してみました
手段のこだわりが問題を見せる
他者に頼れなくなる時
僕は「他者は自分の思った通りに動いてくれない」と思っています
これは僕が思った通りに進める事にこだわっている事が原因
僕は「自分の思い通りではない」という事が問題だと思っています
自分の思いと違う事が問題だと思っているので他人には認識できません
その結果、最もコントロールしやすい自分を使う事になる
手段の囚われが選択肢を狭くする
自分の思うとおりに他者は動いてくれないと思うから
問題に興味があるのは自分だけで他者は問題に無関心に見えてしまう
この時、僕は「間違っている他者と正しい自分」という観点で状況をとらえっちゃってます
他者と自分を対立関係の中に置き、分け隔ている
問題があるように見せているのは自分の解釈であり
他者は無関心なのではなく、自分と関心のある事が違うだけなのかもしれない
こうやって問題をチームの物ではなく個人の物にしている
問題が個人の物になり、「私ばかり○○させられている」と思う
手段へのこだわりが自分しか見えない問題を作り
自分しか見えない問題が問題を個人の物とする
結果、「私ばかり○○させられている」という認識を作る
損を避ける行為が個人の問題を生む
望まない事を避ける時「これは損であるので避けなければならない」という解釈を持つ結果
僕は多くの実現方法を考えるのではなく、少ない選択肢を守ろうとしてしまう
損しないでおこうと思うと
問題は自分に降りかかり続け
問題を対処するのは自分のみである
↓↓この本を参考にしました。被害者感情から抜け出したいっ↓↓