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「マスターの教え」欠乏感が生んだ目標は役に立たない

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マスターの教えでは目標を持つ事で自身を制御する方法がかかれています。
しかし、今まで思いついた目標はほぼ維持できず。
「自分は意思が弱いのかな?」なんて考えていました。
最近、目標によっては自身の制御は難しい場合があると考えるようになったので整理してみました。

 

人には欠乏感がありそれが動機になっている

マズローは人間が行動を起こす動機の1つに「欠乏動機」があると説きました。
「何かが足りない」という欠乏状況を充足させることが行動の動機となるというものです。
欠乏動機は自身の成長や注意深さを生むために必要なものではありますが
「欠乏動機」と自身の主従関係が崩れた時、目標は自身を制御せず苦しみを強調すると考えました。

 

「欠乏動機」は本来、自身をサポートする存在

俺はこのままでは会社で存在価値を感じてもらえないのではないか?
よ~し、この危機的状況を改善するために日々、業務を効率化し努力しよう!
自分が主であり安全欲が従者であるあいだは
「欠乏動機」はサポート役として機能すると思います。

 

主従関係が逆転しがちな「自身」と「欠乏動機」

「欠乏動機」は自身を守るサポート役であり、
生きる上で必要な物だと思います。
しかし「欠乏動機」に多くの力を与えると
対応すべき欠乏を探し求め始め
自分と「欠乏動機」との主従が逆転する。
人生は安全を脅かす脅威を探し心配する事に消費されるようになる
この状態で「欠乏動機」によって炊きつけられた目標を持つと
欠乏をより強く感じる事になる

 

目標を追求すればするほど目標から遠のく。

「欠乏感」が目標を支え、目標が「欠乏感」の存在を際立たせる
目標を追求すればするほど目標から遠のく。

 

「欠乏動機」はあくまで欲だ!

何かを求めるのは欲なのだと思う。
何かを得ても欠乏はきっと満たされ無い。

「満足」は、何かを得ることによって生まれるものではない。
不足の不在によってもたらされるものである。
一見同じように見えても、この二つは大きく違う。
平和を望めばそれは「欲」だが、平和であるのは「欲の消失」である

あの世に聞いた、この世の仕組み」より引用
「マスターの教え」が言う目標は
マズローのもう一つの動機「存在欲求」に
よる目標なのだと思う。

 

まとめ

「欠乏欲求」により生み出された目標では人生を制御できない。
目標にするなら「存在欲求」による目標。

自身を必ず成り立たせる「存在欲求」とは何か?
考えがまとまったら書いてみたいと思います。

 

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