お正月、食べ過ぎちゃった人はいっぱいいるんじゃないでしょうか
正月だけでなく毎日食べ過ぎちゃうんだよね
腹八分どころか腹十二分くらい食べてる
お腹いっぱいでもまだ食べたくなるのはなぜか思考を思考してみました。
満たされていない苦痛から早く脱したい
空腹という満たされていない状態は苦痛なんだ
だから早く脱したい
だから早く脱したい
苦痛の無い満腹という満たされた状態になりたいと感じている
「満たされている=空腹を感じない=食べなくても良くなる」なので「満たされていない」を感じなくなるまで勢いよく食べる
結果食べ過ぎてしまうって事なのか
空回りするのは不足の消失を目指すから
早食いが過食につながるはあるかもしれない
苦痛を早く消そうとするから早食いとなり過食になる
しかし、満たされない苦痛は打ち消す事は出来ない
満腹になっても時間がたてば空腹になる
しかし、満たされない苦痛は打ち消す事は出来ない
満腹になっても時間がたてば空腹になる
満たされないと満たされたの間を揺れており
止め様の無い状態の変化を満たされた状態でいたいと思っている
止める事の出来ないので結果の伴わない努力となる
止め様の無い状態の変化を満たされた状態でいたいと思っている
止める事の出来ないので結果の伴わない努力となる
「満たされていない」を認識し、そこを気にしている事が原因ならば
違う事を意識し改善できないだろうか
違う事を意識し改善できないだろうか
苦痛は消えなくても満足は作る事が出来る
他者に振り回されない様に「何者にもならない」から脱し
自分の人生を生きる「自己の発揮」に人生の焦点を絞るんだ
自分の人生を生きる「自己の発揮」に人生の焦点を絞るんだ
食事を例に挙げると
「何者にもならない」とは「満たされない⇔満たされる」の変化惑わされないという事
「自己の発揮」は「満たされない⇔満たされる」の変化の中に無い物を生み出すという事
「何者にもならない」とは「満たされない⇔満たされる」の変化惑わされないという事
「自己の発揮」は「満たされない⇔満たされる」の変化の中に無い物を生み出すという事
有を得るのではなく有を生み
食事から体の満足だけでなく心の満足を創造するんだ
食事から体の満足だけでなく心の満足を創造するんだ
満足は作るTIPS
食事くらいで「自己の発揮」って言ってたら疲れるなぁ
昔の人々は少ない食料で満足を得る工夫をしてきた参考に出来るだろう
- 丁寧に作ろう
- たまには変わったものを食べよう
- 繊細な香りの物を食べよう
- 綺麗に盛り付けよう
- 丁寧に食べよう
- ながら食べを止めよう
- 箸置きを活用しよう
丁寧に作ると早食いする事がもったいなくて丁寧に食べるようになる
満足度も高く、過食を防ぐ事ができる。
一人暮らしだと定番の物ばかり食べてしまう
普段食べないようなものをたまには食べよう
お吸い物に微かにゆずの香りが香るなんて
香りを楽しもうとすると雑に食べる事できなくなるよね
見た目がきれいだと心理的な満足度が高まる
咀嚼回数が多いと満足度は向上する
味も香りも感じる事無く
食欲の満足度だけ感じるようになっちゃうよね
お箸を持ちながら食べると咀嚼中に次の食べ物を選んだり取ったりしてしまう
咀嚼中はお箸をおいて食べてみよう
豆は手間がかかるので適しているかも
浸水させて、茹でてアクを取り、味付けして…豆は手間がかかる
時間をかけた料理は早食いしない
種類も豊富で大きい豆や小さい豆、模様のある豆など試してみるのもいいね